日本に住んでいるなら、広島や長崎の原爆ドームのように、生涯のうちに行かなきゃいけない処がある。『震災遺構 仙台市立荒浜小学校』もその一つ。地震は必ず来る!忘れない!3.11の記憶。

宮城県

仙台に来たのは2回目。前回、松島や仙台城跡なんかの観光名所は行ったから、今回は他の処…。
去年ムスメが仙台来たとき、地下鉄とバスを乗り継いで、荒浜小学校に行ったらしい。東日本大震災の津波が襲った学校で、瓦礫だけ片付けて、その時の状態のまま残されているらしい。ムスメ、ずいぶん感動したらしくて「せひ行ってき!」って。
なので、牛タンランチを済ませてから、行ってみることにした。

仙台地下鉄東西線で、終点の「荒井駅」へ。そこから一時間に一本のバスに乗って、終点の「震災遺構仙台市立荒浜小学校」へ。

バスの時間まで少しあったので、荒井駅内にあった「せんだい3.11メモリアル交流館」を覗いてみる。

中は公民館か観光案内所みたいな感じ。

『震災遺構 仙台市立荒浜小学校』の資料は、バスの時刻表も。

2階に上がると、震災に関する展示室。

壁一杯のメッセージ。
バスの時間になったので、バスに乗り込む。

バスはのどかな田園風景の中を走っていく。
このあたりの住宅は、どれも新しくてキレイでオシャレ(^.^)って思ったけど、地震で潰れて立て直したんやろな。

終点で降りる。
パッと見た感じ、普通の小学校。校庭は駐車場になって、車や観光バスが停まってる。

校舎に近づくと、当時の写真と様子を書いたパネルが。

教室の中には入れないように、金網がはってある。

よく見れば、外壁もボロッとして、パルプなども歪んでいる。
2階まで浸水していたと、ラインが示してる。

仙台市だけでも、死者・行方不明者が930人も!

小学校には320人が避難してきたけど、全員が救助されたらしい。

校舎の中に入ろうと入り口に向かうと、こちらの側はスゴい事になってる!
2階のベランダの鉄柵が、ボロボロ!

入り口も大変!こっちが海側だから、ここに瓦礫が押し寄せた訳。

教室の中は、ヒドイことになってる!

天井までボロボロ。ここまで海に浸かったから。

海水だけじゃなく、いろんな瓦礫が流されてきて、それが危険物になるわけ。

震災前の町のジオラマ。

航空写真でも、たくさんの家が建っていたことが分かる。海も近くて、良い処やったんやね。

窓から見ると、今は何にも残ってない…

小学生の遠足かな?ガイドのおじさんが、一つ一つ説明して、子供たちはメモをとったりしてる。
この子たちは、震災を知らないんや!

4階の教室では、ビデオの上映がされてる。

エンドレスで、当時の校長や町内会会長などが、その時の様子を話してくれる。大きくなった当時の子供たちも。見てる人たちは、誰もが固唾を呑んで見いっている。

津波で止まってしまった、体育館にあった時計。

もともと体育館が避難場所に指定されていたらしいけど、チリ沖地震で避難場所を校舎に移していたとか。体育館に避難していたら、全員助からなかったはず。

階段の踊り場には、当時の新聞が張り出されている。

当時運動場にあった、二宮金次郎の像は、破損されて学校から約100メートル離れた場所で見つかった。

バスの時間までまだあるから、海岸の方に向かってみる。

道路は整備されて立派だけど、まわりには何もない。

何もない中に、学校の校舎だけ残ってる。

この地の歴史を刻んだ碑。

家が流された後、基礎だけが残っている場所らしい。

当時YouTubeで、家が流れているのを見て、衝撃だったっけ。

大きな窪みが残ってる。

海からの津波が、防風林や家を乗り越えるとき、地面を掘り下げ、巻き上げることによってできたらしい。

慰霊の観音さま。
横には亡くなった方たちの名前と年齢が。お年寄りが多い中、小さな子供とその親らしい方たちの名前も。辛すぎる…
観音さまは、津波の来た海の方角ではなく、人々が平穏に暮らした街のあった方角を向いている。

仙台市内から比較的近くて、行きやすい震災遺構。仙台に遊びに来ることがあれば、2~3時間、ここに来て欲しい。楽しい旅行中で、心が沈むような処には行きたくないかもしれない。
でも、行ってほしい。3.11を忘れないために。
地震は必ず来る、と再確認するために。

ご意見、お問い合わせはこちらから
どの記事をご覧になったのかもご記入ください。

    コメント

    タイトルとURLをコピーしました