京阪七条駅から東へ歩いて5分くらい。三十三間堂の真向かいにある、京都国立博物館の裏手に、豊臣秀吉が祀られている『豊国神社』があります。豊臣家滅亡とともに、徳川家康によって取り壊されたけど、明治時代に再建されたとか。出世開運の神様でもあります。
そしてこの周辺には、他にも秀吉ゆかりのモノがいろいろ…。

まずは豊臣秀吉が祀られている『豊国神社』へ。大きな鳥居が立派!

中に入ると、左手に手水。

瓢箪から水が流れています。はい、太閤さんといえば、千成瓢箪。

太閤さん本人もいます。

本殿にお参りします。絵馬もかかって、まだお正月モード?

「招福白虎」は京都美術工芸大学からの奉納。首には瓢箪(((^_^;)

みごとな装飾です。太閤さんの絶頂期をおもわせる神社ですね

横手には稲荷神社

普通のお稲荷さんと、ちょっと違った感じ

干支のおみぐじもあったけど、ここは瓢箪おみくじ、買いました(^-^)

隣の『方広寺』には、大きな梵鐘が。これが家康に難癖つけられた、例の鐘です。

とにかくデカイ!無駄にデカい!徳川家康が、豊臣家の財力を削るために建設を推したとか。

豊臣秀頼が造った訳ですが、「国家安康」と「近臣豊楽」の文字に、家康がイチャモンつけた訳。こんなちっちゃい文字!よく探したねぇ(((^_^;)

しかし、天井画がすごい!キレイに残ってる。

当時は色彩鮮やかやったんやろね。
これ実は、どこぞの女子トイレの天井画だったとか(((^_^;)

鐘楼の横にあるのが、『方広寺』。

時間がないので、本堂内には入りませんでしたが、かつての大仏の10分の1の大きさで造られた盧舎那仏があるそうです。

瓦には、豊臣家の桐紋。

手水は使えませんでした。

細道を抜けて、裏手に行きます。

この広場が『方広寺大仏殿跡地』です。

秀吉が、奈良東大寺の大仏に負けないくらい大きな大仏を造ったとか。でもその後、地震や火事やらでなくなってしまった…。その後の発掘で、まさに東大寺の大仏殿をしのぐ大きさだったと判明!


今は埋め戻して保存しているそうです。

遺跡の位置が分かるようにしています。

今は静かな緑地帯になっています。ここは大仏殿のほんの一部。いかに大きかったかわかりますね。豊臣家の栄華の極みです。

先ほどの横道を通って、『方広寺』の鐘楼の処まで戻ってきます。改めて鐘楼を見ると、大きすぎる鐘は、大仏殿の大きさを考えると妥当な大きさだったわけですね。しかし、これが原因で、栄華を誇った豊臣家が没落するわけです。

最後にもうひとつ、穴場の名所へ。『豊国神社』の西側にある『耳塚』です。
朝鮮半島に侵攻した秀吉軍が、打ち取った朝鮮軍兵士の耳を切り取り、塩漬けにして持ち帰ったとか。ゾッとするような話ですね。

秀吉の朝鮮半島侵攻は、まさに侵略。歴史的に貴重な建物を次々焼き払い、人々を殺害し、未だに遺恨を残しているわけです。その耳塚が、秀吉を祀る『豊国神社』の正面にあるというのはどうなんでしょう?
京都の負の遺産でもある『豊国神社』周辺。いろいろ考えさせられる場所でもあります。

ご意見、お問い合わせはこちらから
コメント